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バレエダンサー 倉永美沙さん [バレーダンサー]


ボストン・バレエ団の頂点に咲く名花(プリンシパル)

心の芯強き可憐な舞
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 アメリカ北東部のマサチューセッツ州に拠点を置くボストン・バレエ団は、1963年に設立された北米屈指の名門カンパニー。倉永美沙さんは、同バレエ団のプリンシパル(最高位)です。2006年ジャクソン国際バレエコンクールでは、日本女性初の金賞を受賞。海外の第一線で活躍する彼女に、プリンシパルへの道のり、ダンスに懸ける情熱。

鍛錬と精進

 156センチの小柄な身長を感じさせない存在感のある演技。舞台を駆け抜ける倉永さんの典雅な舞は、見る者を一瞬でとりこにしてしまう。その優美で力強い表現が、夢の世界へと引き込む――。

 倉永さんが、希望に胸を膨らませ渡米したのは、17歳の時。若手の登竜門で知られるローザンヌ賞スカラシップ(奨学金)を獲得し、サンフランシスコ・バレエ団で1年間の留学の機会を得た。彼女の本格的なバレエ人生の幕開けだった。

 繊細な表現を要求する日本のバレエとは違い、アメリカバレエの特徴は、大きくダイナミックであること。足の上げ下げ、回転、速度……あまりのスタイルの違いに、「カルチャーショックを受けました」。

 “スタイルを変えないと、この国では生きていけないのよ!”。そうコーチから指摘され、当惑の連続。1年後、新しい契約の話はなかった。「とんとん拍子。他の人から見たら、そんな人生に映っていたかもしれませんが……」。初めての蹉跌だった。

 どうしてもまだ日本には戻りたくないとの一心で、名前を聞いたこともないような小さなバレエ団にもオーディションを申し込んだ。ところが、“レベルに達していない”と門前払いに。「どこからも必要とされていないと感じ、今までで一番つらかった。どん底でした」

 普通なら、くじけてしまうような境遇。しかし、諦めなかった。ここから一流ダンサーとして高みを目指す挑戦が始まった。

 倉永さんのバレエ人生で、「白鳥の湖」の陰の主役・黒鳥(オディール)は、特別な役柄だ。

 10歳の時、国内コンクールで審査員を務めていたボリショイ・バレエ団の芸術監督の目に留まり、モスクワ・コンクール開幕コンサートに招かれた。そのオープニングで披露したのが蠱惑的な黒鳥のソロ。ジャクソンコンクールで金賞を受賞した時も黒鳥役。長年、磨き込んできた。

 今月30日から、本拠地ボストン・バレエで初めて「白鳥の湖」全幕に主演し、再び黒鳥を踊る。

 「魔法によって白鳥の姿にされた主役のオデット。魔法とは、彼女の劣等感の表れなのかもしれません。陰の主役・黒鳥は、その暗い情念が投影されたものです」。ストーリーを捉え直し、現実的な人間ドラマを描きたいと意気込む。

師匠は、自分の力を2倍、3倍と伸ばしてくれる大切な存在です。

“日本というシステム”

 倉永さんには、ゲスト出演の依頼も多く舞い込んでくる。カナダ、ドイツ、フィンランドなど……。

 一方、日本のバレエ界の現状は、海外で活躍する日本人ダンサーにわずかしか踊る機会を提供していない。

 そのことについて意見を求めてみると、「今、私が一番伝えたいメッセージなんです」と。

 アメリカでキャリアを積んできた倉永さんが抱く違和感――。一つは、外国人ダンサーが来日すると大きく盛り上がりを見せるのに対し、日本人ダンサーが帰国しても評価が低いこと。また、出演料や仕事量など、男女の待遇にも大きな差があること。

 かつて『人間を幸福にしない日本というシステム』(K・V・ウォルフレン著、1994年)という言葉が一世を風靡したが、女性の活躍という面で、“日本というシステム”は、まだまだ課題が多い。

 「素晴らしい日本人ダンサーが大勢います。彼女たちが踊りやすい環境をつくっていきたい」

 そうした願いに応えるように、海外で活躍する日本人のダンサーを迎える舞台「バレエ・アステラス」が2009年から、文化庁の委託事業として始まった。倉永さんも、10年に新国立劇場の舞台に立っている。

運命の出会い

 あなたが目標にしているダンサーは? と尋ねると、意外にも「特定の人はいません」との答え。

 「でも、ボストン・バレエ団でプリンシパルを指導してくれている、ウクライナ出身のバレリーナ、ラリッサ・ポノマレンコさんは、心から尊敬する先生です」

 これまでも、多くのコーチについてきたが、指導された内容を身体に打ち込むだけの練習。そのため、リハーサルもつまらなく、好きになれなかった。しかし、師・ポノマレンコさんとの出会いが、倉永さんの「バレエ人生を百八十度」変えた。

 今日のバレエ界は、長身のダンサーが主流。そうした中で、ポノマレンコさんも小柄な体型でありながら、トップに上りつめた。

 「手探りで身に付けてきた技術や経験など、彼女の人生そのものを惜しみなく伝授してくれます」

 なめらかな腕の動き、ブレのないバランス感覚……師の指導をもとに研究を重ねながら、一つの動作を何度も繰り返し、完璧に近づけていく。格段の手応えがあるという。

 20世紀を代表するロシアのバレリーナ、アンナ・パブロワは、自身が成功した要因について「すごいトレーニングに耐える強さと、完璧を期するまで、数千時間を費やす情熱をもっていました」との言葉を残している。

 倉永さんにとって、師匠はどのような存在かと聞いてみた。間髪を容れず、「師匠イコール運命の出会いだと思っています」と。

 「師匠がいない中で、一人で闘ってきた時期もありました。それなりに、成長したと感じますが、師匠は、自分の力を2倍、3倍にも伸ばしてくれます。その道で生きていくために、絶対になくてはならない大切な存在です」

 コンクールでも舞台でも「不思議と本番で最高の力が出せるんです」。倉永さんはさらりと語る。それは仏教でいう、心が一つに定まり動じることのない“三昧”の境地か。

 もちろん、壮絶な努力と気が遠くなるような練習の結晶だが、今や至芸の域へと達し、世界的な名花と高く評価される、彼女のダンス美の秘訣なのかも知れない。
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■プロフィル  くらなが・みさ 大阪府出身。7歳よりバレエを始める。2003年ボストン・バレエ団に入団、09年にプリンシパルに昇格。これまでに、「ラ・シルフィード」、「くるみ割り人形」、「ジゼル」、バランシン振付「セレナーデ」、キリアン振付「ブラック・アンド・ホワイト」など、幅広い作品を踊っている。東日本大震災の折には、チャリティー公演を企画し、ボストンから被災地への支援を呼びかけた。



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