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そ~なんだ県民性<石川県> 「日展」入賞者 全国トップ 新幹線開通間近の文化県 [県民性]

新幹線開通間近の文化県
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 来年3月の北陸新幹線開通を控え、金沢は今さぞかし盛り上がっていることだろう。石川県の中心都市で観光・文化資源が豊富、白山や能登半島など県内の観光地への起点でもあることからすれば当然である。

 この県が観光に依って立つようになったのは、加賀(旧国名)藩主・前田家の決断が大きい。長らく豊臣家の重臣だった前田家は、徳川家の天下になった時、大いに悩んだ。「いつ反旗を翻さないとも限らない」と疑われることを恐れたからだ。この県の人は本心をなかなか明かさないというが、これもそうしたことの影響だろう。

 そこで3代藩主・前田利常は、「加賀は文化で生きる」との決断を下した。その結果、陶器、漆器、友禅染、和紙、金箔、釣り竿、毛鉤など、この地では多種多様な工芸が発達する。長く平和が続いたために、「武」の役割が薄れていったことも幸いした。兼六園を擁する金沢城には、意外なことに天守閣がない。江戸時代の初め落雷で焼失したものの、泰平の世には不要ということで再建されなかったのだ。幕府への遠慮もあったに違いない。

 ただ、おかげで金沢やその近辺には文化・芸術が広く、深く浸透していった。今でも石川県は日展入賞者の数(人口あたり)が日本一。誰もが何かしら「芸術」に関わっているといっても過言ではないかもしれない。魚介類や和菓子など、食のレベルも高い。ややもすると気位の高さを感じさせる金沢人だが、優しさでは全国有数との評もある能登の人たちとタッグを組めば、さらに多くの観光客を呼び込めそうだ。


驚 ここが違う!

 ①回転寿司のコンベアは、ほぼ100%が石川県産

 ②天然フグの漁獲高はダントツ

 ③アイスクリーム、チョコレートの消費量は日本一

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そ~なんだ県民性 <栃木県> [県民性]

“ギョーザ日本一”を奪回 現状に甘んじない反骨精神
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 日光に那須高原、とちおとめ(イチゴ)に結城紬。おなじみの観光地や名物だが、何県かと聞かれると、一瞬、答えに詰まってしまうのではなかろうか。そのせいかどうか、「栃木県は地味」などとささやかれたりもする。

 「地方」にスポットが当たり、どこの県もそのPRに力を入れている昨今、そうした現実を放っておくわけにはいくまい。まして、栃木県人の反骨精神の強さは全国屈指。この県は内陸にあるため、寒い時と暖かい時の気温差が大きい。どんなに寒くても、猛暑の日があることを知っているから、現状に甘んじることなく、いつかは……という気質が培われた。

 明治期、足尾銅山の鉱毒問題に取り組んだ田中正造は、衆議院議員の職を辞し、明治天皇に直訴までして、この問題を広く世に知らしめる。残念ながら解決には至らなかったが、田中に対する尊敬は今も衰えない。

 県南西部には足利シューマイ(肉の代わりに玉ネギを使う)、大根そば(盛りそばに大根の千切りを載せたもの)、いもフライ(串刺しにしたジャガイモにパン粉をつけて揚げる)などといったメニューがある。食生活が貧しかった時代に考案されたもののようだが、栃木県人の“意地”が感じられる。

 県都・宇都宮は長年ギョーザの消費量が日本一。しかし、浜松市にその座を奪われたことがある。すると、首位奪回をめざし猛烈に動き始め、3年で逆転を果たした。おとなしそうに見えても、反骨の気質は今なお強く息づいているようだ。


驚 ここが違う!

 ①もやし、イチゴの生産量は日本一

 ②日光の杉並木(総延長37キロ)は「世界一長い並木道」と、ギネスブック認定されている

 ③足利学校はザビエルが「日本最古の学校」と紹介

そ~なんだ県民性 <和歌山県> [県民性]


「森林率」は77% 「初めて」を生み出す地理的環境
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 サッカーW杯もいよいよ最終盤。日本代表は敗退してしまったが、そのサッカーを初めて日本に紹介した中村覚之助は、この県の出身である。中村に限らず、和歌山県は「初めて」との縁が深い。

 世界初の全身麻酔手術に成功した華岡青洲、渦巻き型蚊取り線香を考案した上山英一郎、中学で初めて男女共学制を導入した西村伊作、高校野球(当時は中学)の生みの親・田村木国、合気道の創始者・植芝盛平、計量スプーン・カップを考案した香川綾など枚挙にいとまがない。

 遠い昔、「木ノ国」と書いた「紀伊国」=和歌山県は県域の77%が山林、中でも県南部(紀南)は海岸線ギリギリまで山が迫ってきている。産業といえば、林業と漁業くらいのものであった。

 こうした地勢は、チャレンジ精神に加え、外に雄飛しようという気概も培う。紀南エリアからは、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど海外に多くの人が移民している。太平洋に四六時中触れて育まれる、陽気でカラっとした気質もプラスに働いたはずだ。

 大阪に近い紀北エリアは、現実感覚を重んじ、紀伊國屋文左衛門、松下幸之助はじめ、商才に長けた人が目立つ。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道など)」を訪れる人たち相手の観光を生業としていた故だろう。

 山で“発酵した”心意気が海からの風に刺激され、世に貢献する「こと」「もの」を多く生み出した和歌山。人間の生き方と地理的環境の深い関わりをあらためて思い知らされる。


驚 ここが違う!

 ①みそから濃い口醤油が生まれた地と言われる一方、みその消費量(2011~13年の平均)は最下位

 ②みかん、柿、梅の生産量は日本一

 ③備長炭の50%以上を生産

そ~なんだ県民性 <高知県> [県民性]

「よさこい」発祥地 太平洋が育む気宇壮大さ
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 「龍馬空港」。高知空港の愛称である。それかあらぬか、現在の県名より、江戸時代の国(藩)名「土佐」のほうが似合っているように感じる人も少なくなさそうだ。

 もちろん、「幕末」「明治維新」だけが高知ではない。今では全国200カ所以上で行われている「よさこい」発祥の地だし、台風情報などでも、その名をひんぱんに耳にする。なるほど、フィリピン近海から真っすぐ北北東に進むと高知県にぶつかる。豪快なカツオの一本釣りでも知られる太平洋を見て育てば、島国的なせせこましさなど、跡形もなく消え失せてしまうに違いない。

 一方、県の北側には四国山地がそびえ、愛媛、香川、徳島の三県とこの県とをへだてている。山口県と同じく、端っこの地・高知にも大きなエネルギーが貯えられた。高知の場合、そこに、もう一つ別の要素が加わる。それは、平安時代以来、「遠流」の地とされていたことだ。

 “政治犯”として都を追われてきた、やんごとなき人たちと触れることで、土佐の人々は独特なものの考え方を培っていった。太平洋によって大きく増幅された端っこのエネルギーに、政治センスが加わった結果、パワーあふれる気宇壮大な発想が生まれたのだろう。

 細かなことを気にしない気質は年齢・男女に関係なく共通している。そのアバウトさが時に災いをもたらすこともあるが、それすら軽く流してしまうのが高知県人。その代表が坂本龍馬だったのかもしれない。


驚 ここが違う!

 ①土佐電気鉄道は現存する路面電車では最古、路線の延長距離も最長

 ②県域の8割以上が森林なのは高知県だけ

 ③ナス、ショウガ、シシトウ、ニラの生産量は日本一

そ~なんだ県民性 <山口県> [県民性]

西洋音楽初演奏の地 本州最西端で培われる活力
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 「日本を変えたのは私たち長州(現・山口県)なんだから」という言葉を口にしていた。本人はもちろん、親類縁者に明治維新に関わった者がいるわけでもないのに、である。山口県出身者が同郷人をどれほど誇りに思っているかがよく分かる。

 確かに、幕末から明治維新まで、わが国の回天事業を強力にリードしたのは薩摩(鹿児島県)と長州だし、その担い手=“維新の元勲”を数多く送り出した吉田松陰の松下村塾は萩にある。山口県人にとって吉田松陰は今なお「先生」なのだ。

 ただ、一方で、こうした強烈な郷土愛はしばしば誤解を招き、敵をつくりやすい面もある。そのため同県人でまとまる傾向が強く、他県の西郷隆盛や江藤新平ら、明治新政府に留まることができなかった者も少なくない。

 こうした山口県民の気質は、本州の(西の)端に位置していたことで培われたものだろう。端っこというのは、何かにつけてエネルギーがたまりやすいからだ。

 その端の端にある下関は江戸時代、日本の物流の核を成した「北前船」の寄港地。日本海と瀬戸内海が接する交通の要衝として大いに栄えた。

 山口県は朝鮮半島や中国とも近い。古くから交流が盛んで、異国の文物や習慣を積極的に受け入れる進取の風土がごく自然に育まれた。日本でクリスマスが始まったのも、西洋音楽が演奏されたのも山口県が最初である。


驚 ここが違う!

 ①山口県出身・選出の首相9人は最多、通算在職日数も最長

 ②国指定の天然記念物は全国最多

 ③「道の駅」を提唱したのは山口県人

そ~なんだ県民性 <群馬県> [県民性]

結婚式費用が日本一 「上毛かるた」育てる郷土愛
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 群馬県に育った人ならほとんど誰もがソラで言えるという「上毛かるた」(「上毛」は、群馬県の古称)。全県で大会が開かれ、小学生はそこに読み込まれた郷土の名物や偉人をいや応なしに覚える。

 その名物の筆頭が、晩秋から初春にかけて山々から吹き下ろす「空っ風」だ。さほど寒くなくても、体感気温はグンと下がる。夏の暑さもハンパでなく、雷も多い。いずれも内陸にあるせいだが、そうした厳しい気候にもめげず、この県の人たちはよく働く。

 先ごろ世界遺産に登録された富岡製糸場と絹産業遺産群。そこで生産された生糸は日本の近代化に大きく貢献した。原料の蚕を育てる養蚕、糸挽き、機織りを一手に担っていたのは女性である。その働きぶりが、もう一つの名物「かかあ天下」を生んだ。

 いかにも「男性を尻に敷く女性」といったイメージがあるが、それは違う。確かに、彼女たちの稼ぎは男性をはるかにしのいだ。江戸時代の戯作者・十返舎一九が「女なくては明けぬ国」と評したほどである。おかげで自由を謳歌できた男性たちが、彼女たちへの感謝と敬意を、ちょっとはすに構えて表現したもののように思われる。

 いずれにしても、一家総出で働くから、実入りはよかったはずだ。江戸に近く、新しいもの好きという都会人的な気質も育まれた。車や家庭電化製品のニューモデルが非常によく売れるのも、その影響だろう。結婚式にかけるお金も日本一。現代版「上毛かるた」が生まれてもおかしくなさそうである。


驚 ここが違う!

 ①ヤマダ電機・ビックカメラの二大家電量販店チェーン発祥の地

 ②自動車の運転免許保有率が日本一高い

 ③夏秋キャベツ、コンニャクイモの生産量は1位

そ~なんだ県民性 <福島県> [県民性]

全国3位の広大な面積 “ならぬことはならぬ”正義感
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 「福島県ゆかりの著名な人物」をネットで検索してみると、「父は会津藩士」「母は会津藩士の家系」といった言葉が頻繁に出てくる。「会津」は一種のブランドになっているようである。たしかに、昨年NHKの大河ドラマ(『八重の桜』)の舞台になったのも会津。鶴ヶ城には年明け早々から多くの観光客が訪れていた。

 県の西、山間部に位置する会津地方は人口が少なく、交通の便も決してよくない。だが江戸時代は、徳川家の血を引く保科正之が藩祖で、石高も大きく、周囲の諸藩から「会津藩は格が違う」と目されていた。

 全国で三番目に広い現在の福島県域には、いわき(平)、相馬、二本松、白河、三春、棚倉など多くの藩があったものの、いずれも弱小。幕末期は会津藩の動向をうかがいながら動くことも少なくなかったという。

 その会津の気質は、忍耐強く、情が深いこと。「ならぬことは、ならぬものです」という、頑固なまでの正義感にも定評がある。もちろん、福島県は会津だけではない。開放的できっぷがいい半面、淡泊でもある浜通り(海岸沿い)、新しいもの好きで経済感覚にも長けた中通り(福島、郡山など県中央部)と合わせ三つのエリアから成り、地勢も気質も大きく違っている。東西をつなぐ交通手段が乏しいため、それぞれ独立した雰囲気が強い。

 ただ、浜通りと中通りの人たちは、好むと好まざるとにかかわらず、今なお会津を意識しながら暮らしているように思えてならない。“会津レジェンド(伝説)”は不滅なのである。


驚 ここが違う!

 ①納豆とモモの消費量、夏秋キュウリの生産量ナンバーワン

 ②白河市の南湖公園は「日本最古の公園」といわれる

 ③女性の初婚年齢が最も低い

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