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そ~なんだ県民性 <山口県> [県民性]

西洋音楽初演奏の地 本州最西端で培われる活力
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 「日本を変えたのは私たち長州(現・山口県)なんだから」という言葉を口にしていた。本人はもちろん、親類縁者に明治維新に関わった者がいるわけでもないのに、である。山口県出身者が同郷人をどれほど誇りに思っているかがよく分かる。

 確かに、幕末から明治維新まで、わが国の回天事業を強力にリードしたのは薩摩(鹿児島県)と長州だし、その担い手=“維新の元勲”を数多く送り出した吉田松陰の松下村塾は萩にある。山口県人にとって吉田松陰は今なお「先生」なのだ。

 ただ、一方で、こうした強烈な郷土愛はしばしば誤解を招き、敵をつくりやすい面もある。そのため同県人でまとまる傾向が強く、他県の西郷隆盛や江藤新平ら、明治新政府に留まることができなかった者も少なくない。

 こうした山口県民の気質は、本州の(西の)端に位置していたことで培われたものだろう。端っこというのは、何かにつけてエネルギーがたまりやすいからだ。

 その端の端にある下関は江戸時代、日本の物流の核を成した「北前船」の寄港地。日本海と瀬戸内海が接する交通の要衝として大いに栄えた。

 山口県は朝鮮半島や中国とも近い。古くから交流が盛んで、異国の文物や習慣を積極的に受け入れる進取の風土がごく自然に育まれた。日本でクリスマスが始まったのも、西洋音楽が演奏されたのも山口県が最初である。


驚 ここが違う!

 ①山口県出身・選出の首相9人は最多、通算在職日数も最長

 ②国指定の天然記念物は全国最多

 ③「道の駅」を提唱したのは山口県人

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