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世界遺産「富岡製糸場」 [話題]

世界遺産「富岡製糸場」
富岡工場1.JPG
日本近代文化の礎となった『富岡製糸場と絹産業遺産群』が25日世界文化遺産に登録されます。
今回登録されるのは、西洋技術を発展させ生糸生産に画期的な進歩をもたらした。
殖産興業の象徴的存在である富岡製糸場のほか、近代養蚕農家の原型「田原弥平旧宅」や蚕の卵を貯蔵した「荒船風穴」養蚕技術の教育機関「高山社跡」がある。
世界が価値を認めた富岡製糸場
明治政府がフランス人技術者ポール・ブリュナらの指導を得て1872年に建設した官営の器械製糸場。
近代化の資金を得るため当時最大の輸出品だった生糸の増産と品質向上が不可欠と判断して先端技術を取り入れた世界最大規模の工場を造った。
富岡工場4.jpg
富岡市を選ばれたのは?
もともと養蚕が盛んな地域で、大量の繭を集めやすい事が大きなポイント政府は長野県や埼玉県を調査したが、蒸気エンジンの燃料にする石炭が近隣の高崎市などで採れ近くの川から水も確保できることが評価されて富岡市に工場ができた。
富岡工場2.JPG
製糸場内にはどのような施設があるの
木の骨組みにレンガの壁、瓦屋根という和洋折衷のユニークな建物です。全長100mを超える東西の繭倉庫や、300人の女子行員が一斉に糸を引き出して巻き取った繰糸場などが当時のまま残されて、明治政府の官営工場で現在も残っているのは富岡製糸場だけです。
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どう維持されてきたのか?
化学繊維の普及に押されて1987年に操業を停止したが、当時の所有者の片倉工業
が市に移管する2005年まで毎年億単位の維持費を負担するなど、関係者の努力で建物が維持された。
ユネスコの諮問機関イコモスも「奇跡的な保存状態だ」と高く評価されました。今は、観光施設として一般公開されてます。
富岡工場作業内.jpg
女子行員の暗いイメージは?
各地の製糸場や紡績工場で厳しい重労働を強いられた女性がいたことは事実ですが、ここ富岡製糸場は地方に技術を伝える「模範工場」として造られたこともあって、当時は世界でも、まれな恵まれた労働環境で、労働時間は1日8時間。週休1日や夏冬の休暇も保障され、食費や寮費も工場持ちで福利厚生は充実していました。地方の技術指導者になった人もいて、女性の社会進出に一役買ったと評価されている。





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